動物供養を通じて大慈悲の宗教心を広め、
地球未来のための一助を
人間は伝えにくい精神的な重みを、感性の中に取り入れようとする時、儀式の中の壮厳さや、それに費やす時間の長さを活用してきました。
今や、供養を人間だけの範中に、独占する時代は、過去のものとなり、動物のみならず緑も含めた供養を生活の中に取り入れて、適応しなければならない時代がきました。
我々の祖先たちは、大人でありました。
人間の心を形成してゆく為には、子供達にとって動物や生き物とのふれあいは欠くべからざる物であるということを本能的に知って居たようで有り、さらに子供達は、生活の中で遊びとして取り入れて居たのであります。
しかし、我々の物質文明に対するあこがれは、発展という名に基づいて子供達から生き物とのふれあいの場を奪い続け、その結果は、教育の歪みとなって自殺や殺人として、現れて来てしまったのです。
当山はこうした事柄を背景として、一方においては、市内稀に見る森林の育成に努力し他方には人間以外の生命にも、供養と祭祀を人間と同じ様に対応する事によって生命の尊さをよみがえらせ、広く動物供養を通じて大慈悲の宗教心を広め、地球の未来に人間性の回復の一助となるべく努力致して居ります。